夕凪の街 桜の国 2018続
ブログのはじめのうちに、被曝3世の立場から、大変残念な、そして驚くべき内容について、説明をしなければいけません。それは、被爆者およびその関係者をめぐる、困難な状況が現在もなお存在するということです。
このツイートに「不適切な内容が含まれている可能性がある」と判断した理由について、説明できない理由はないはず。
— さらにいくつもの ame@この世界の片隅に (@TheRemembrances) June 10, 2018
誰が、どのような根拠で、そのように判断したのか? pic.twitter.com/UU65H3k4R4
ブログ主が驚愕した Twitter 社の取り扱いアニメーション映画監督の片渕須直氏と、長崎の被曝3世である、まつながるいこ氏のツーショット写真に対して「不適切な内容が含まれている可能性がある」として、ブログ主のタイムライン上で、自由に閲覧できる状態から除外されていた (まつなが氏の Twitter より)。
同様の扱いが、映画「この世界の片隅に」で主人公すずの声を演じた女優の「のん」(本名:能年玲奈)さんのケースでも見られた。 ここで問題にしているのはブログ主の twitter 上の表示設定のことでは、勿論ない。上述のような、何の変哲も無い写真をなぜ閲覧制限の対象とするのか?ということである。
その「困難」は、私たちの周りに様々な形で現れて来ます。しかもその困難は「被爆者という特別な存在」に対してのみ影響を及ぼしているのではありません。実はその困難は、誰にでも降りかかり得て、あなたにもすでに影響しているかもしれません。例えば、前の頁において、核兵器開発をめぐる経済活動と、社会福祉・人道援助にかかる費用との間に大きなギャップがあることを示しました。
「核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいる。2017年には1兆7千億ドル以上のお金が武器や軍隊のために使われた。これは冷戦終了後、最高の水準だ。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたる」
殺戮と破壊のための不毛な道具に、巨額のお金をつぎ込んでおきながら、なぜ多くの人々にとっての平和な暮らし、安定した社会を育むことが二の次になるのでしょうか?この問いは我が国の政府に対しても、残念ながら当てはまってしまいます。その端的な例が「核兵器禁止条約」に日本が参加しないという姿勢にあらわれていると考えられます。
また、隣国の脅威を煽りながら、高額の兵器を購入するという姿勢についても、同様の文脈、すなわち「腑に落ちない説明」として位置づけることができてしまいます。該当兵器の性能、納期、購入を決定した主体であるところの政府高官の態度... 多くの情報が、導入の目的を十分合理的に理解することを妨げ、不審を抱かせます。なお悪いことに、これらの不審な事象に対し、政府の側から明瞭な回答が十分行われていない、と少なくともブログ主は考えています。
価格が米政府の見積もり任せという問題があり、今後さらに高騰する危険もあります。納入時期も目標にすぎないとされ、6年で配備される保証もありません。政府が主張する「可及的速やかな」配備には程遠いのが実態です。
望月記者「イージス・アショアの導入費、2基で6000億円以上と試算。当初の推定の3倍以上。生活保護費を削減し、西日本豪雨の対策費が要求される中、他を削ってでも必要な理由は?」
— umekichi (@umekichkun) July 23, 2018
ポンコツ「報道した所に聞け」
何言ってんだ、こいつ。
予算の使い道を報道機関に聞けってか。
意味わかんねぇな、菅。 pic.twitter.com/AwMlLBFRwW
加えて、あまり信じたくないことですが、不審な気持ちの表明、ないし平和の希求を表に出すこと、ただそれだけで、悪意にも似た感情が様々な形で向けられることがあります。それらのネガティブなアクションは残念ながら組織化されて行われていると察するに足るだけの内容を有しています。そしてこの構造は何も「核廃絶」に対してのみ発揮されているわけではありません。
【みんなアベに似てきた2】佐喜真氏は2014年に宜野湾市民会館で日本会議沖縄県本部系の団体が開催した「沖縄県祖国復帰記念大会」で彼が主催者側として「閉会あいさつ」をしたが、日本会議のHPから削除されていた。佐喜真氏は極右、改憲派である事実をなぜ隠すのか。https://t.co/P69hZs1AqV
— 金子勝 (@masaru_kaneko) September 22, 2018
尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和へのねがいを詩にうたっているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。私はこのような文学活動によって … 有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意思を無視して再び戦争へと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。(峠 三吉, 原爆詩集 あとがき, 岩波文庫, 1951年)
- 峠三吉の書き残したこの言葉は、決して遠い過去のことではありません -
つまり、私たちが「ごく平和に穏やかに暮らしたい」と願うだけで、上に述べたような「困難」に直面するリスクが現実として存在しているとブログ主は考えます。そしてそのリスクは、放置していれば、偉い政治家や学者、有名人の皆さんが勝手に取り除いてくれる性質のものではありません。
「ごく穏やかに暮らし、自分のものとして受け入れうる生活を営みたい」と願うことは至極当然なことだと思います。しかし一方で、そのような暮らしや生活を実現するためには、その成り立ちに目を向け、維持して行くこと、改善して行くこと、おかしな方向にいかないよう注視して行くことが重要です。つまり、自分たちの生活を自分たちの手で守る必要があるのです。
具体的な方法はいくつかあります。このブログのような、あるいは Twitter などのメディアを通じて意思表示や情報共有をして行くこと。あるいは署名活動などに参加してみること。大切なのは、「自分の意思を示すことに慣れる」ということだと思います。もちろん、多くの人に訴えかけることは、同時に「困難」に直面するリスクを高めるかもしれません。しかし一方で、あなたの意見に真摯に耳を傾けてくれる人も出てくるでしょう。少なくともブログ主は、出来るだけ多くの誠実な訴えには耳を傾ける努力をしたいと考えています。このブログは、そうした方々の声を集めるためのものでもあります。
ですから、このブログはいきなり完成されたものとはならないでしょう。常に変わりゆく部分を含むことになります。しかし初心は上に述べた通りです。誠実な訴えに耳を傾けて、自らもまた誠実たらんと意思表示をしていくこと。それは直ちに実を結ぶとは限りませんが、歩みは始まっています。すでにこの道を歩んできた方々はいましたし、これからもいるでしょう。ブログ主も、そんな歩みの一部になりたいと願う一人です。
毎日があの日。佐伯敏子さんは一日たりともあの日を忘れなかったのに。 pic.twitter.com/0vtHlahEwT
— ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 (@hfw_motoo) October 4, 2018